ベトナム現地採用の私が脱サラした理由~これで会社辞めなきゃ人生終わってた

ユーゴック

私(サイト運営者)は2011年にベトナムへ移住し、現地採用で日系企業の営業職で働いていましたが、たったの3か月で退職。そして脱サラをしていまに至ります。いまでも思うのは、「あのとき会社を辞める勇気がなかったら、人生詰んでたかも」というもの。今回はその当時を振り返ります。

2011年1月にベトナムへ移住

私は2011年1月にベトナムへ移住してきました。それまでは日本で商社とメーカーの2社の勤務経験があり、いずれも職種は営業でした。しかし、黒いスーツを着て毎日ラッシュアワーに呑まれ、夜遅くまで仕事をする人生に嫌気がさして、兼ねてより目標にしていた海外移住を達成。

移住後は現地の環境に慣れるため、国内旅行をしたり大学に行きベトナム語を学んだりして、半年ほど充実した日々を送りました。

2011年6月に現地採用。日系企業に就職

2011年6月に現地採用。日系企業に就職

そして2011年6月、貯金が底をつき始めたので、あえなく就職活動。そのときも副業でSEO記事作成を請け負っていましたが、月の報酬はわずか5万円程度でした。ベトナムは物価は安いですが、日本人が発展途上のベトナムに暮らすというのは、意外とお金がかかるものなんです。

そして、現地採用として日系企業への就職が決定。その企業は日本人が社長ですが、タイに本社を置いていて、ベトナム支店では私が初めてかつ唯一の日本人社員。従業員は私とベトナム人秘書、営業員、経理の4人のみ。

まさに地獄の日々のはじまり。日本と変わらない毎日に辟易

まさに地獄の日々のはじまり。日本と変わらない毎日に辟易

そこからはまさに地獄の日々。朝はベトナムにも当然のようにラッシュアワーがあります。電車ではなくバイクです。排気ガスを吸い込みながら、毎日40分かけて出社します。事務所に到着したら、ベトナム人スタッフ同士が取っ組み合いの喧嘩をしていることもしばしば。感情むき出しの彼らをなだめるのは本当に大変です。

そして、朝はバンコクの本社のスタッフと毎日Skypeのビデオ通話による朝礼(こっちは朝ネットの調子が悪いんだよ……くそっ)。

その後はとにかく営業で新規開拓の電話。これは月に1度バンコクから営業主任がやってきて、私に同行するため、私はその日にめがけてアポを最低10件取る必要があるんです(俺の方が役職上なのに……ベトナムくんじゃね)。営業経験者は分かると思いますが、決められた日(2日間)をめがけてアポを複数社とるのは本当に大変なんです。仮にアポの数が取りなかったら「俺なんのためにベトナム来てんの?意味ないじゃん」と詰められます。

当時の給料は10万円以下?

当時の給料は10万円以下?

当時の給料は1500ドルでした。しかし、2011年はいまでは考えられない超円高の時代で、1ドル80円のころ。まず1500ドルから税金が引かれると、残りは1200ドル。1ドル80円換算の場合、日本円で9万6000円。10万円切ります。もちろんベトナムで暮らす分にはやっていけますが、日本へ帰国する航空券を買うのは大変です。ちなみにこのときのベトナムの生活費は家賃含めて7万円ちょっと。日本食レストランに多くいった月は足が出てしまうこともありました。

「この程度なら自分の力でお金を稼げるのでは?」と思ったのが転機

「この程度なら自分の力でお金を稼げるのでは?」と思ったのが転機

給料を何度も計算しても、日本円にして10万円以下。そう考えた途端、毎日仕事場へ出社するのがばからしくなりました。自分が副業ライターで稼げるのがおよそ5万円。ならば本業にすれば10万円以上行くのでは、と考え始めると、妄想はどこまでも広がり、意を決して会社に辞表を出しました。結局6月から働き、退職したのは9月。たったの3か月しか働きませんでした(苦笑)

あのとき会社を辞めていなかったら、いまはどんな生活だったのだろうとふと思う

今現在、私が住んでいるマンションは月の家賃だけでおよそ10万円。もし会社を辞めていなければ、少なくとも今の生活はなかったと考えるとぞっとします。日本でも転職を経験していますが、会社を辞めるって本当に勇気がいるんですよね。私の場合は副業ライターを本業にすることで、自分でお金を作ることができる、という自信があったので、それが退職の背中を押してくれましたが、皆さんはいかがでしょうか。

もちろん、本業ライターになるといっても一筋縄ではいきません。その後の生活もまた後日お話したいと思います。

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